私も歩きたい

今、神さまのみ恵に預かり感謝の日々を過ごしております。私は浄土真宗の家庭に生まれました。祖父母との同居、篤い信仰の中に育ち神頼みの暮らしに何か違和感を感じ私には不要だとさえ考えていましたが、社会に出てからキリスト教の教えを知り共感を抱いたのを覚えています。
その後、聖書と出会うのは結婚後、今から15年前になります。我が家の隣人として東京から奈良へ単身赴任のご主人の元へクリスチャンの奥さまが時折いらしたのです。

両親と同年代の方でありましたが物事の考え方や生き方に多くの事を教わりました。「通読をしてみませんか」とお誘いがあり聖書を譲って下さいました。この時、私は種を蒔かれたのだと思っております。その方は福音自由教会の教会員で葛飾区と奈良の教会で礼拝を守っていらっしゃいました。当初、私もそちらの教会にて牧師夫妻や若い信者の方々と幼児サークルにて親子共々、聖書の学びや賛美、祈りの時を持ちました。

初めての子育てに戸惑う中、長く抱えてきた両親の問題、私にはどうする事も出来ない悩みがありました。そしてそれは結婚後も絶える事なく心配事となっていました。そのような生活の中、聖書が与えられ辛い事から逃げ出したいという私の思いとは裏腹に目から鱗のような教えが・・・幸い、一日の労苦など支えられた事を思い出します。日々の暮らしの中に聖書が与えられていたことに改めて感謝しています。物事が解決したわけではありませんでしたし、さらに辛い経験や迷惑もかけました。しかし、そのような状況の中、何とか過ごせてきたのは神さまが主人や主人の母、友人を備えて下さったからだと思っています。

その後、長男が聖公会付属幼稚園に入園、続けて次男、三男と同幼稚園に通うこととなります。礼拝、マリア会、教会キャンプ、日曜学校のお手伝い等をするようになり七年を過ごしました。そちらでも園長先生との聖書の会、教会の方との月に一度の聖書を読む会では本当に支えられました。
去年、住み慣れた奈良の地から主人の転勤で国立の地に移り住みました。一年が経ち、S幼稚園で2011年度のお母さんの勉強会(聖書の学びの会)係としてNさんと唐澤先生に出会いました。この地でも学びの場が与えられ、初心に戻ったところでした。

この五月、今年初めての勉強会の中でマタイ14:22-33の聖書箇所でイエスさまが湖の上を歩かれたこと、ペテロが歩こうとしたことのお話を唐澤先生から聞き、「私も歩きたい」と素直に思い礼拝に通わせていただいています。

その後、ペンテコステを迎え 先生ご夫婦との出会い、のぞみ教会との出会いに聖霊の働きを感じてなりませんでした。聖霊降臨節を何度も迎えていたはずですが記憶になく今回、初めて迎えたとしか言いようがなく自分でも不思議でした。今まで洗礼について考えなかったわけではなく考え過ぎ苦しかったこともありました。

主人が長男で仏事と関わりをなくせない中、自分としてどう捉えていくのか。父や母、先祖の事など正直言うと迷うことだらけで、いつか洗礼を、と漠然としたまま置き去りにしていました。しかし、神さまを信じたいと願った気持ちにより私自身の内に働くものがあり神さまを、聖霊を感じられる事に結びついたのだと捉えています。 そして今、聖書を読めば読むほどに多くのメッセージを受け、聖句に強められる日々を過ごしています。消し去る事の出来なかった辛い思いを今日この日を迎えるために与えられたことなのだとさえ思えてなりません。

礼拝でお説教を聞き、長老方の祈りを聞き、今まさに 神さまを信じ委ねて 神さまに立ち帰り 恵みの中に生きていきたいと強く思い願うのです。これからの人生、長く続く道、浮き沈みも当然ありますが、神さまが共にいて下さり共に歩いてくださる事に感謝して。