カンバーランド長老キリスト教会国立のぞみ教会 東京都国立市にあるプロテスタントのキリスト教会です

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  • 250608_「星のように輝く」フィリピ2:1−18(ペンテコステ礼拝説教)

    聖霊が降り、教会が生まれたことを記念する「ペンテコステ」である。2000年前、弟子たちに突然、激しい風のような音が響き、炎のような舌が一人ひとりに留まった。聖霊が注がれ、彼らは部屋を飛び出し、異国の言葉で神の偉大な業を語り出した。この「多言語の奇跡」は、聖霊の働きが「一致」をもたらすことを示している。

    しかし、その一致とは、画一的で没個性的なものではない。異なる者同士が、聖霊によって結ばれる一致、多様性を抱えながら一つとされる一致である。パウロはフィリピの信徒たちに「同じ思いとなり、心を合わせ、思いを一つにして」と呼びかけたが、それはまさに「霊による一致」への招きであった。

    その一方で、フィリピの教会にも分裂の兆しがあった。利己心や虚栄心が一致を妨げていた。パウロは「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい」と記す。自己中心やうぬぼれが、共同体の絆を断ち切る現実を知っていたからである。

    私たちも、ありのままでいたいと願いつつ、その「ありのまま」がぶつかり合い、共に生きることを難しくする。教会もまた、完全ではなく、罪と弱さを抱えた者たちの群れである。だからこそ必要なのが、文語訳に「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」とあるように、キリストの心を心とすることだ。

    この「キリストの心」は、初代教会が歌った「キリスト讃歌」に表されている。神の子でありながら、人となられ、僕の姿を取り、十字架の死に至るまでへりくだったキリスト。その心こそ、私たちが模範とすべきものである。

    この世界では、利己心と虚栄心が支配する。「誰が一番偉いか」を競い合う弟子たちの姿は、現代の私たちの姿でもある。しかしキリストは違った。力ではなく、仕える姿によって、勝利を示された。パウロが語る「キリストの福音」は、ローマ帝国の「皇帝の福音」に対する逆説である。ローマが金と軍事で築く「平和」に対し、キリストはへりくだりと犠牲を通して、復活と命をもたらされた。

    だから私たちは、キリストを模範とし、その心を心とすることを目指す。真似ることは、弟子としての基本である。芸能、スポーツ、どの世界でも学びの出発点は模倣である。教会もまた、キリストを真似る群れでありたい。

    そして、キリストを模範とする歩みは、途中で投げ出さず、最後まで成し遂げるべき道である。パウロは「恐れおののきつつ、自分の救いを達成するように努めなさい」と語る。それは、キリストの心を追い求め続ける人生であり、教会の道でもある。

    このような教会の歩みが、星のように輝き、命の言葉を証する。小さな群れかもしれない。しかし、ここに「命の言葉」があり、希望の光がある。土の器であっても、内に宝を抱えている。それが聖霊に支えられた教会の姿である。

    ペンテコステとは、教会が光としてこの世に立った日。聖霊は今も、私たち一人ひとりの内に働き、キリストのへりくだりを教え、私たちを「星のように輝く者」としてこの世界に遣わしている。光が見えるのは、闇があるからである。暗い時代に、なお輝きを放つ、そのような教会とされたい。

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