カンバーランド長老キリスト教会国立のぞみ教会 東京都国立市にあるプロテスタントのキリスト教会です

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  • 「死の陰の谷を行くときも」詩編23:1-6

    2021年10月10日礼拝

     召天者記念礼拝に『聖書教育』のプログラムによって詩編23編が与えられた。愛する方を天に送る葬儀の営みにおいて必ず読まれる詩編である。愛する者の傍らに羊飼いなる主イエスが「死の陰の谷を行くときも」共にいてくださる! そのことに励まされ、慰めを得る。詩編23編は私たちの記憶とも結びつく大切な詩編だ。


     この私たちにとって大切な詩編23編を新しい聖書協会共同訳は「主は私の羊飼い、私は乏しいことがない」と訳している。新共同訳では「主は羊飼い」である。「私の」という小さな言葉が訳出されている。小さな違いだが、重要な違いだ。主はただの飼いではない。主は「わたしの」羊飼いなのだ。あの人、この人、あの愛する人の羊飼いではなく、このわたし、あなたの羊飼いであるということ、それが詩編23編を読む上で決定的に重要なことなのだ。主という「わたしの羊飼い」がおられるからこそ、わたしには何も欠けることがない。乏しいことがないという告白が可能なのだ。


     私たちの現実には欠けがある。渇きをおぼえる。主がいるから、いつも問題ない。いつも元気。意気消沈することなんてないということではない。「魂を生き返らせてくださる」というのだから、魂が死んでいるような経験をしているのだ。愛する人を天に送って、心の中がぽっかりと空洞になってしまう。何もする気がおきない。何も手につかない。フラッシュバックがあり、自分を責めてしまう。そんな経験をする。しかし、にもかかわらず「欠けることがない」と告白するのだ。なぜなら、羊飼いである主が、わたしを導いてくださるからだ。


     2011年3月11日の直後に娘は幼稚園を卒園した。卒園式で卒園する園児が詩編23編を暗唱した。あの津波と原発事故が起こり。国立でも計画停電があり、食べ物やガソリンなどが不足する時だった。生と死を強烈に意識させられる只中で、幼い子どもたちが暗唱する詩編23編が、何度も耳にし、口にしてきた詩編23編が、心の奥底に染み入った。私たちの人生をどんな時でも導いて下さるイエス様が一緒にいて下さる! それはどんなに私たちの人生において救いであるか。慰めであるか。胸が熱くなって涙ができてきたことをよく覚えている。 


     今もコロナという「激震」を経験している。欠けさえおぼえる。しかし、主は「私の」の羊飼い、私には何も欠けることがない。そう告白することが私たちにはできるのだ。わたしたちはまた今日から私たちに残された人生の日々へとここから遣わされていく。かけがある。死の影の谷をいく暗闇がある。しかし、私たちはわたしの羊飼いに導かれて、羊飼いを信頼して歩むことができる。私たちの愛する友が、そのように歩んだように、私たちも主と共に生きていきたい。

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