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  • 「世界は神のもの」詩編24:1-10

    2021年10月17日礼拝説教要約「世界は神のもの」詩編24:1-10

     NHKの番組で夜の地球が映し出される映像を観た。これまで撮ることのできなかった夜の地球の映像だった。都市ほど明るく輝き、とても美しい映像だった。関東地方も映った。それを観ながら、わたしは映っていなけが、たしかにそこにいるのかと思うとなんだか不思議な気持ちになった。

     美しい地球の映像をクローズアップしていけば、そこには人間の営みが見えてくる。7時のニュースに流れるような痛ましい事件や人間の苦悩があふれている。たとえば16日は「世界食料デー」であるが、美しい地球には現在7億人(11人に1人)の人が食べ物がなく餓えている現実がある。コロナでますます増えているようだ。

     私たちも一週間、カメラに密着されたらどうか? 晒されなくないことがあるに違いない。夫婦のこと、親子のこと、職場のこと、学校のこと。子育て、介護。目が回るような忙しさがあり、心も、肉体も擦り切れてしまう。そんな一週間を私たちは送ってきたかもしれない。色々な思いを心に隠しながら、今日、私たちはこの礼拝の場へやってきた。

    詩編24編は礼拝者が、礼拝するために神殿に入るときに歌った詩編だ。「地とそこに満ちるもの世界とそこに住むものは、主のもの」(1節)。神の民イスラエルも人生の苦闘を抱えていた違いない。貧しさもあり。国そのものが揺れ動き、右往左往することもあった。北イスラエルが滅亡する時、バビロンに捕囚になるときがあった。それぞれの生活の中でも苦悩することもあった。しかし、その時に目の前に景色から、もう一度、私たちの視座を高く、高く引き上げていくかのようにこの詩編を歌いながら神のみまえに出ていく。

     私たちのごちゃごちゃと繰り広げられているように思える日常は、しかし、この世界を創造された神様の世界で、神様の懐の中にあることなのだ。

     一体、私たちは何者であるのか? この世界は誰のものか? 「世界とそこの住むものは主のもの」。私たちが礼拝を通してそのことを思い出す時、私たちは実に、自己中心的に、この世界を、自分の世界を、私たちの隣人を支配しようとしているかに気が付かされるのだ。
     
     世界の食料問題についても然りだ。神様はこの世界をよいものとして創造された。世界食料デーのパンフレットには「食べ物は足りないの?」という質問に対して、答えは「あまりあるほどに十分にある」とあった。「世界で作られている食べ物の量は、全世界の人がいきていくのに必要な量の2倍近くある」のだ。しかし、7億の人が餓えている現実がこの世界にはある。なぜか? 「自分さえよければよいという考え方」がその原因だとクイズでは答えている。
     
     私たちは礼拝者にふさわしい「潔白の手と清い心」を持つものではない。11人に1人が餓えていることを見過ごしてしまうようなものだ。しかし、その私たちが今日、礼拝者として主の御前に集っているのだ。主を求める者として! 主は主を求める者に対して祝福と恵みをお与えになる。「恵み」は別の訳では「正義」である。主を求めるものに「正義」が与えられるのだ。
     
     今日の詩編はアドベント、そして棕櫚の主日によく読まれる詩編だ。ここで歌われる王とは、キリストに他ならない。キリストを私たちの世界に王として迎えよう。

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