カンバーランド長老キリスト教会国立のぞみ教会 東京都国立市にあるプロテスタントのキリスト教会です

  • 〒186-0002
    東京都国立市東3-15-9
    TEL&FAX 042-572-7616

    お問い合わせ

  • 240630_「侵入するノイズ」 マルコ5:21−43

    カンバーランド長老教会日本中会一斉講壇交換
    説教者:宮井岳彦牧師(高座教会)

    今日私たちが聞くべき神の言葉として与えられているのは、一人の父親の物語です。少し個人的な思いかもしれませんが、私はここのところしばらく、重苦しいような思いでここのところを読んでいました。というのも、ヤイロには幼い娘がいて瀕死の状態だと言っていますが、最後まで読むとこの子は12歳だったと書かれています。私の一番上の息子も、ちょうど7月に12歳を迎える。ヤイロは一人の父として一体どんな思いで主イエスのところに来たのだろうかと思うと、心が苦しくなるのです。23節には、イエスの足もとにひれ伏して「しきりに願った」と書かれています。一人の父親の必死な思いが伝わってきます。

    主イエスは一緒にヤイロの家に向かい始めてくださいました。ヤイロの気は急いていたでしょう。一刻も早く娘のところへ主イエスをお連れしたい。ところが、話は順調には進みませんでした。イエスが突然立ち止まった。後ろをふり返った。後ろには、たくさん人が押し迫っていました。皆、助けを求めていた。たくさんの手がイエスに向かって伸びていた。主イエスはおっしゃいます。「私の衣に触れたのは誰か。」ヤイロには意味が分からなかったと思います。無数の手がイエスに向かって伸びているのですから。弟子たちがヤイロの気持ちを代弁するようにして言います。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『私に触れたのは誰か』とおっしゃるのですか。」ヤイロは思ったのではないでしょうか、「イエスさま、そんなことよりも早く来てください!」と。

    主イエスの声に促されて、一人の女性が出てきました。この人は12年間病気に苦しめられてきました。彼女の様子や聞こえてくる言葉を聞いて、ヤイロにも少しずつ分かったと思います。この人がどんなに苦しんできて、今どんなにイエスの助けを必要としているのかを。しかしそれはそれとして、ヤイロとしては早く娘のところに来て欲しかったに違いない。ところがイエスは彼女と向き合うことを止めません。そして最後にイエスは彼女に言いました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。病苦から解放されて、達者でいなさい。」きっとこの言葉は、ヤイロとしては、自分の娘のために言って欲しかった救いの宣言だったに違いない。それを自分の目の前で他の人に言っている。ところがヤイロのところに家からもたらされたのは、彼が一番聞きたくない言葉でした。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」

    神さまって、こういうことなさいますよね。どんなに熱心に祈り、願っても、私の言葉なんて聞いてくださらない。それなのにどうしてあの人ばかり?もちろん頭では分かっています。あの人も神の助けを必要としている。あの人も痛んでいる。でも、どうして私は、私の愛する人は、放っておかれているのですか?

    聖書を読んでみると、主イエスは、この女性にも、ヤイロにも、信じることを求めておられます。何を信じるのか?それは、神が今生きておられること。そして、私たちが神の御手の中にあることです。キリストが「少女よ、さあ、起きなさい」と、あなたやあなたの愛する人の手をとって起こしてくださることです。この方は、甦りの朝に私たちを起こす力をお持ちなのです。「恐れることはない。ただ信じなさい!」ヤイロは自分の思い通りにならなかったことで、キリストの命の福音の当事者になったのです。

    TOP