カンバーランド長老キリスト教会国立のぞみ教会 東京都国立市にあるプロテスタントのキリスト教会です

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  • 240728_「あなたを決して見捨てない」 創世記28:10-22

    父イサクをだまし祝福を奪い取ったヤコブに待っていたのは、安泰な、悠々自適な未来ではなかった。兄エサウがヤコブに対して殺意さえ抱くようになった(27:41)。ヤコブは故郷ベエル・シェバを旅立ち、伯父ラバンの住む1000km離れたハランへと向かうことになった。

    厳しい荒野の旅路を一人で歩きながら、ヤコブの胸中に去来したのはどんな思いであっただろうか。後悔、困惑、不安など様々な感情が、荒野の嵐のようにヤコブの心に吹き荒れたのではないかと想像する。ベエル・シェバを旅立って100kmくらい歩いた「ある場所」でヤコブは日が暮れたので野宿する。石を枕に眠りにつくと、「先端が天にまで達する階段が地に据えられていて、神の使いたちが昇り降り」している不思議な夢をみた。そして夢の中でヤコブは「私はあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにしてもあなたを守り、この土地に連れ戻す。私はあなたに約束したことを果たすまで、決してあなたを見捨てない」という主の語りかけを聞いたのだ。

    ヤコブは、祖父アブラハムの神、父イサクの神のことを聞いて、知っていただろう。しかし、父と母の家を離れて、まったく一人で不安と孤独の中で、野宿せざるをえない状況において、ヤコブは初めて「主なる神」と個人的出会う経験をした。祖父でもなく、父でもなく、ヤコブとして、神からの語りかけを聞くという経験をしたのだ。

    聖書に明かしされる主なる神は、このように一人ひとりに呼びかけ、語りかけ、出会ってくださるお方だ。主なる神は、どこにいても、どのような状況にあっても、私たちに親しく語りかけてくださる、私たち一人ひとりに「語りかける言葉」をもって出会ってくださる、人格的な神なのだ。

    「本当に、主がこの場所におられるのに、私はそれを知らなかった」。ヤコブは何もない荒野において、野宿をせざるを得ないような者に主がおられるなどとは考えもしなかったのだろう。むしろ神の祝福はどこへいってしまったのか、という戸惑いのほうが大きかったのではないだろうか。だかこそ、ヤコブは思いがけない主の語りかけに「怖い」と思うほどの驚きを覚えたのだ。

    ヤコブの目覚めは、もちろん睡眠から目が覚める意味だが、ヤコブ物語としては、主なる神からの語りかけを聞いて、ここにまったく新しい一人の人間、「目覚めたヤコブ」がいるともいえる。人生は不思議だ。ヤコブにとっては「こんなはずではなかった」という出来事の中でこそ、神との出会いが与えられたのだ。

    「私はあなたと共にいる。あなたを決して見捨てない」。ヤコブに語りかけられた神の約束は、いまやイエス・キリストを通して私たちに現された。イエス様はヤコブのように、眠る場所もないような貧しい人、悲しい、孤独を抱えている人、社会から不要だと切り捨てられているような人、病の中で痛み、将来に不安を覚えている一人ひとりのそばにたち、「私があなたと共にいるよ、私は決してあなたを見捨てない」と語りかけてくださるのだ。この語りかけを聞く礼拝の場所は私たちのベテルである。また人生の苦難の場もまた「あなたを見捨てない」という御言葉が語りかけられるあなたの「ベテル」になるのだ。

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